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東京地方裁判所 昭和29年(行)101号 判決 1956年10月17日

原告 中央労働委員会

被告 国

訴訟代理人 杉本良吉 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告が中労委昭和二十九年不再第四号不当労働行為再審査申立事件について昭和二十九年九月十五日附でなした命令を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二、請求の原因

一、訴外山本一郎は、もと原告に雇用されていたいわゆる駐留軍労務者であつて、昭和二十六年二月二日以来大阪市天王寺区筆ケ崎所在の在日米軍(キヤンプ堺、RPE)大阪日赤総合病院(以下日赤病院という)に配管工として勤務していたが、昭和二十八年九月一日右部隊は同人を解雇する旨の意思表示をなした。同月三日全駐留軍労働組合(以下全駐労という)大阪地反本部は右解雇が山本の組合活動を嫌つてこれを排除するためになされた不当労働行為であると主張し、大阪府知事を被申立人として大阪府地方労働委員会に救済を申立てたところ、同委員会は昭和二十九年一月三十日附で「一、使用者は山本一郎を原職に復帰せしめること。二、使用者は山本一郎の解雇当日より復帰の日までの間、同人が原職にあれば受くべかりし賃金相当額を支払うこと。三、前二項は本命令交付の日より十日以内に行うこと。」との命令を発した。これに対し大阪府知事は同年二月十三日被告に再審査の申立をなしたが、被告は同年九月十五日附をもつて右再審査の申立を棄却する旨の命令を発し、右命令書写は同月二十二日同知事あてに送達された。

二、しかしながら、本件命令は以下に述べる二点において違法であるので、これが取消を求める。

(一)  第一点、事実誤認

被告が本件命令の理由として認定した事実は別紙命令書写記載のとおりで、山本の解雇をその組合活動を理由とするもので不当労働行為であると断定したのであるが、右は事実誤認である。即ち、本件解雇は山本が有給の病気休暇中であるに拘らず、(1) 昭和二十八年八月二十一日朝大阪日赤病院ボイラー室に姿を現わした。(2) 同月二十一日夜妙堯寺で行われた組合の集会に出席した。(3) 同月二十二日午後天王寺公園の組合デモに参加したなどの行為をなし、有給休暇を誤用したためになされたもので、同人の組合活動とは因果関係のないものである。被告が命令書において認定した各事実に対する原告の主張の詳細を以下に述べる。

1 命令書理由一について

(1)  その第一項の事実は認めるが、第二項については同項中に認定された山本が終始支部組織の強化のため努力したとの事実は不知であり、その余の事実は認めるが、支部組合員が増加したのは労務者数全体が増加したからに過ぎない。また、第三項の認定事実は不知であり、第四項の事実はこれを認める。

(2)  その第五項に認定の「昭和二十八年八月十二日、十三日のストライキの前後から軍の組合に対する態度は急に硬化した」との事実は存在しない。対労働組合に関する問題は、使用者である大阪府知事において処理して来たところであつて軍側としては直接これに関係を持たなかつた。従来の例に徴するも、軍側としては軍の施設内における組合活動を禁止するなど軍の利害に直接関係ある事項について大阪府知事に対し通知又は要請がなされているに過ぎない。

(3)  同じく同項に述べられている「ピケラインに対して軍側は保安将校タツカー少佐の指揮のもとに、ピケ隊の写真をしきりに撮影し」の表現は軍による組合活動の監視又は干渉を思わしめるものであるが、事実はそうでなく、どこの部隊でも見られるように保安係官などが日本における労働争議の模様を写真に撮つたというに過ぎない。

(4)  同じく同項に認定の「病院自動車にスト不参加の従業員を乗せてピケラインの突破を図り、この為ピケ隊に負傷者を出し、また若干の組合員が天王寺警察署に連行されるなどかなりの磨擦があつた」との点は、事実と著しく相異する。ピケラインの突破を図つたというのは、予ねて駐留軍兵士はピケライン通過を妨げられないことになつていたに拘らず、右ストライキの日に駐留軍の兵士がその妻子(妻は日本人)を連れて日赤病院の自動車でピケラインを通過しようとした際、これを阻止せんとしたことから組合員が自動車に接触して負傷したことをいうのである。この間の事情は昭和二十八年八月十七日付大阪府主事高崎安太郎外一名の外務課長あて調査報告書(甲第十七号証)で明瞭である。また、若干の組合員が天王寺警察署に連行された事実はピケラインを通過しようとした女子労務者に対し組合員が暴行を働いた疑いで警察署で取調を受けたというにすぎないのであつて軍とは関係のない事柄である。

(5)  その第六項には「ストライキの翌日、山本が軍側監督官からこれまで従事していた真空ポンプの係をかえて、ペンキ塗りの作業を命ぜられ、云々」とあるが、従来駐留軍間接雇用労務者の作業は必ずしも固定的なものではなく、その作業能率に応じて変更を命ぜられることになつている。しかるところ、当時山本の職場の監督者から、山本がしばしば職場を離れて困る旨の申出があつたので、軍側監督官において作業係の変更を命じたのであつて、たまたま職場替がストライキの翌日であつたけれども、同人の組合活動と特に関係があつたわけではない。

(6)  その第七項の「同年八月二十八日に予定された第二次ストライキの直前には、軍が職制を通じて、このストライキに参加せず職場に泊り込みで、就業を希望する者を従業員について個別的に調査した」との点は事実と相違し、軍側労務士官より大阪府の労務係官に対し、軍の作業に支障を来たさないようにするために、このストライキに参加せず、就業を希望する者を職場に宿泊せしめたい旨の連絡があつたのであるが、府側より不当労働行為を疑われる嫌いがある旨を申し出たため、中止されたというのが事実である。

2 命令書理由二については、その第一項中に山本が日赤病院内の日本人診療所で診断を受けた日を八月二十一日としているのが八月二十日の誤りである外はすべてこれを認める。

3 命令書理由三の(イ)について

(1)  解雇理由に示された事実第一、八月二十一日の日赤病院ボイラー室の件に関しての判断は全く事実誤認である。昭和二十八年八月二十一日朝病気欠勤中にも拘らず、山本が日赤病院ボイラー室に姿を現わしたことは、同朝山本がボイラー室の入口から出て来たのを現認したボイラー室監督スナイダリツチ一等兵の証言書、エレベーター監督山崎賢一郎の証言書、同日軍の命によりボイラー監督天野と共に山本の自宅に赴いて在宅か否かを確めた有末広子の証言によつて明瞭である。被告は、エレベーターボーイ田中益二郎、小西辰郎の各証言、同朝山本が在宅していた旨の磯村八重子、福岡田鶴の各証言を採用して、右事実を否定されたがこれらの証言は、曖昧で矛盾し、作為的とさえ感ぜられるものがあつて到底右事実を否定するに足る実質的証拠力ありとは考えられない。また、「山崎証人のその後の態度に徴し」とはいかなる意味であるか判然としないが、山崎賢一郎が郵便をもつて前記証言書を撤回したことを指称するとするならば、さきになした証言が強迫又は錯誤によつてなされたものであることが証明されなければならないと思う。

(2)  解雇理由に示された事実第三、八月二十二日の天王寺公園における件について「事務所で病気診断書を提出した帰途帰路に当る天王寺公園で開催された全駐労を主体とする組合の集会に立寄つた」「しかし山本はデモにも参加せず、本部役員や支部組合員に顔を見せた程度で帰宅した」と認定している。しかしながら、通常の概念に従つて帰路に当るかどうかを本人が通勤に利用している交通経路を基準として考えるならば、天王寺公園に至る経路は山本の帰路には当つていなかつたのであるが、その点は暫く措くとして、「組合の集会に立寄つたが、本部役員や支部組合員に顔を見せた程度」とは、組合の集会(デモンストレーシヨン)に参加出席以外のいかなることを意味するであろうか。敢て誤認といわざるを得ない。

4 命令書理由三の(ロ)について(うち「以上要するに」以下の部分については5に述べる)

本件解雇の理由は「病気休暇の誤用」自体であり、解雇通知書に記載された三つの事実はこれが裏付けとなるべき行為に過ぎないのである。かように「病気休暇の誤用」自体を解雇の理由とするに至つた事情は以下の如くである。即ち、当時駐留軍労務者で有給休暇を誤用し、休養以外の目的に使用している者が増加する傾向があつたので、駐留軍においては、かゝる背信的行為を放置するときは軍の職場の規律を弛緩させ、作業能率を害し、延いてはアメリカ政府の利益を害する結果を招来する虞れがあると考え、私傷病を取り扱う病院を指定するなどその対策を講ずると共に、いやしくも有給休暇をその目的以外に使用(有給休暇の誤用)している駐留軍労務者を発見したときは軍規律の保持のため、その行為が組合活動であると否とに拘らず、また、その行為の内容が悪質であると否とに拘らず、等しく断固としてその者を解雇する態度を採るに至つたのである。

右経緯に徴して明白なることは、駐留軍がわれわれの社会通念からは解雇の理由に値しないと考えられる程の有給休暇の誤用をも頗る重大な背信行為であると考え解雇の決定的要因としていたということ、及び有給休暇の誤用に対する措置に関する限り組合員非組合員の区別なく同一の方針をもつて臨んでいたということである。

しかるに、被告は「……山本は前記(2) (3) の程度の行動を措いては休暇期間を休養以外の目的に使用したことは認められないのであるから、前途のような経緯を考慮に入れてみても結局本件解雇の真の理由が「病気休暇の誤用自体」にあるという再審査申立人の主張を正当化することは困難である。」「病気休暇の誤用による解雇として再審査申立人が挙げる二つの事例について見ても或いは休暇中他の場所で働くとか或いは帰省するとか、その内容においてまさに典型的な病気休暇の誤用悪用であり、到底本件解雇の場合と同視することはできない。」として再審査申立人大阪府知事の主張を排斥されたのであるが、原告は右に述べた本件解雇の経緯に徴し、山本の行為は軍のいわゆる「病気休暇の誤用」に該当しそれが決定的原因となつて本件解雇がなされたと思料するものである。

5 命令書三の(ロ)のうち「以上要するに」以下の部分について

(1)  一般に解雇が不当労働行為であるかどうかは解雇者の内心的意図に関することであつて、立証の困難な問題であるから、客観的な事象によつて推認する外はないのであつて、この命題に関する限り原告も異を唱えるものではない。けれども右の命題の趣旨とするところは、解雇者が解雇の理由を示さざるか若くは示しても、その示された解雇の理由が特段の事情なき限り、社会通念と相容れないものである場合においては、その解雇の前後における解雇者の組合活動に対する態度及び被解雇者の組合上の地位より推測して不当労働行為なりや否やを判断せざるを得ないというにあると解すべきであるから、「解雇をもつて問責するに価するような行為であるとは考えられない」とか「到底解雇に価するような悪質を「病気休暇の誤用」であるとは考えることができない。」という価値判断が右推認の前提となることは少くも行過ぎであると思う。けだし、もし被告のような判断に従うときは、一般に解雇には正当理由を要しないと解せられているに拘らず、理由の正当性が肯認されざる限り不当労働行為の推認が下されることとなつて非組合員の解雇の場合と比較して権衡を失する結果となる。

(2)  (1) の点は暫く措くとしても、本件解雇をもつて不当労働行為であると認定された被告の判断は外国軍隊によつてなされた本件解雇の特殊性を無視して、右の一般的命題を誤用したものである。けだし、われわれ日本人からすれば、採り上げるに足らないと考える程度の事柄でもいやしくも規律違反に関しては欧米人殊に欧米国軍隊にあつてはこれを極めて重要視するのであつて(このことはわれわれ日本人の考え方と異る極めて顕著な特徴である)、本件解雇についても「病気休暇の誤用」を軍側としては重大な背信的行為に該当するところであるから、これを通常の事案と同様の基準によつて、「他の部分についても到底解雇に価するような悪質な「病気休暇の誤用」であるとは考えることができないとして……「病気休暇の誤用」が「軍にとつて不利益」であつたからではなく、それに名を藉りて日赤病院における組合組織の中心人物であつた山本を排除しようとしたものと推認せざるを得ない。」と判断されたのは大いなる誤であるといわさるを得ない。まして、先に述べたとおり本件ストライキの前後において軍の組合に対する態度が悪化したというが如き事実も存しない本件解雇については、右の推論は、いかにも不当である。

(二)  第二点

仮に本件解雇が不当労働行為であるとしても、それは駐留軍のなした違法な行為であるから「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う民事特別法」第一条によつて日本国(以下単に国と称す)に損害賠償責任があるは格別として、右違法行為による労働法上の直接責任(不当労働行為の責任)があるいわれはない。従つて、大阪府地方労働委員会のなした大阪府知事に対する不当労働行為救済命令を是認した本件命令は違法である。これを詳述すれば以下のとおりである。

1 駐留軍労務者の雇入及び解雇の事務は調達庁設置法第十条及び昭和二十七年政令第三百号(現在においては昭和二十九年政令第百二十四号)によつて調達庁長官から各都府県知事に委任されているから大阪府知事が労働組合法第七条にいわゆる不当労働行為をなしたりとすれば、国がその責任を負うべきは当然であるが、本件の如く駐留軍のなした不当労働行為についてまで、国がその責任を負うべき理由はない。けだし駐留軍労務者の雇用関係については労働者の権利を保護するため、駐留軍による直接雇用の方式を避け、日本側を法律上の雇用者とし、米軍側を事実上の使用者とするいわゆる間接雇用の形式によつているが、元来駐留軍労務者は駐留軍施設内において労務を提供する特殊性を有するに鑑み、その解雇について特に日米労務基本契約中に「米軍側において日本側の供給したある人物を引続き雇用することが米国政府の利益に反すると考える場合には、その人物は即時職を免じ、附属A表の条項によりその雇用は終止される。この契約に従つて日本側が供給したある人物の雇用を終止する米軍側の決定は最終的である。」旨の規定(日米労務基本契約第七条)が設けられたので、日本側機関としては米軍側の解雇決定に拘束され、単に附属A表の条項に従つて雇用終止の手続をするにすぎない。本件解雇も右基本契約に則り、軍が解雇決定をなし、昭和二十八年九月一日山本一郎に対し解雇の申渡をすると共に同日別途軍労務連絡士官から解雇通知書六通を大阪府大阪渉外労務管理事務所長に手交されたので、うち一通を同月五日同所長から山本一郎に郵送したのである。従つて、本件解雇がたとえ労働組合法第七条で禁止されている不当労働行為にあたるとしても、国が同条にいわゆる「使用者」としてなした行為でないことは明かである。

2 もつとも、本件解雇の決定が米軍によつてなされたことが明白であるとしても、この解雇決定はもともと日米労務基本契約によつて日本側機関が米軍に対し注意に認めた解雇決定の権限の行使にすぎないから、労務者に対しては、国は、雇用契約の当事者として自ら行つた解雇と同様の責任を負うべきであり、同基本契約第十条「契約者は日本国側適用法規並びに極東軍司令官発出の適用規定及び指令に従い、この契約に基く供給人員に対する雇用主としての関係によつて負担する一切の費用、債務及び経費につき責任を負うものとする。」とあるもこの趣旨であるとの見解があるかも知れない。しかしながら、右のように日米労務基本契約第七条が日本側が米軍に対し解雇決定の権限の行使を任意に認めたものであるとしても、米軍のなした解雇決定の権限の行使が不当労働行為に該当する場合において、その違法行為の責任まで国が負担する趣旨でないことは、不当労働行為が違法行為であつて、これに対する制裁が罰則の適用から、原状回復を旨とする現行の不当労働行為に進化した責任そのものの性格に照し容易に理解することができるところであろうと思われるし、右基本契約第十条が駐留軍のなした不当労働行為の責任に関するものでないことも文言上明白である。しかのみならず、もし駐留軍のなした不当労働行為について国がその責任を負担するとすれば被解雇者の復職が駐留軍の施設管理権(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定第三条参照)のため、社会通念上ほとんど不能に近いにかかわらず、それを内容とする不当労働行為救済命令が国(又はその機関)に対しなされることになるが該命令を受けた国もその実効性を保障することができないわけであるから、右のように駐留軍のなした不当行為について国は自らなしたと同様に責任を負うべきであるとする見解は、実情に適しないといわざるを得ない。

3 これを要するに、本件解雇がたとえ不当労働行為であるとしても、駐留軍が行政協定第十二条第三項「別に相互に合意される場合を除く外、賃金及び諸手当に関する条件のような雇用及び労働の条件、労働者の保護のための条件並びに労働関係に関する労働者の権利は、日本国の法令で定めるところによらなければならない。」を守らず、条約上の義務違反を犯したというに止まり、国は前記民事特別法による賠償責任を負うは格別として、駐留軍による不当労働行為の責任を負うべきものではない。

第三、被告の答弁

一、請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

二、請求原因に対する答弁

(一)  請求原因第一項の事実は認める。

(二)  同第二項(一)に主張する事実誤認は否認する。本件解雇は山本の組合活動に起因するものであつて、被告の主張はすべて別紙本件命令書写理由中に記載した認定事実のとおりである。即ち、右命令書理由中にも認定したとおり、軍側が山本の解雇理由とした病気休暇中である昭和二十八年八月二十一日朝大阪陸軍病院のボイラー室に姿を現わし、同月二十二日午後天王寺公園の組合デモに参加するなどして病気休暇を誤用したとの事実は否認する。また、同人が同月二十一日夜妙堯寺で行われた組合の集会に出席したことは認めるが、これが病気休暇の誤用であるとの点は争う。その他右命令書の認定事実に合致する原告主張事実はこれを認めるが、右に反する点はいずれも争う。

(三)  同項(二)の原告の見解はこれを争う。

第四、証拠<省略>

理由

一、訴外山本一郎はもと原告に雇用されていたいわゆる駐留軍労務者であつて、昭和二十六年二月二日以来、大阪市天王寺区筆ケ崎所在の在日米軍(キヤンプ堺、RPE)大阪日赤総合病院(以下日赤病院という)に配管工として勤務していたが、昭和二十八年九月一日右部隊は同人を解雇する旨の意思表示をなした。そこで全駐労大阪地区本部は右解雇が山本の組合活動を嫌つてこれを排除するためになされた不当労働行為であると主張し、同月三日大阪府知事を被申立人として大阪府地方労働委員会に救済を申立てたところ、同委員会は昭和二十九年一月三十日附で「一、使用者は山本一郎を原職に復帰せしめること。二、使用者は山本一郎の解雇当日より復帰の日までの間、同人が原職にあれば受くべかりし賃金相当額を支払うこと。三、前二項は本命令交付の日より十日以内に行うこと。」との命令を発した。

これに対し、大阪府知事は同年二月十三日被告に再審査の申立をなしたが、被告は同年九月十五日附をもつて右再審査の申立を棄却する旨の命令を発し、右命令書写は同月二十二日同知事あてに送達された。

以上の事実は当事者間に争いない。

二、原告主張の違法理由第一点について

(一)  本件解雇に至る経緯の大要は以下の如くである。

昭和二十六年十月大阪地区の駐留軍関係労務者によつて全大阪進駐軍要員労働組合(翌二十七年十一月以降全駐留軍労働組合大阪地区本部となつた。以下地区本部という。)が結成され、同時にその下部組織として山本の勤務する日赤病院においても、組合員約四十名をもつて日赤支部(以下支部組合という)が設けられた。

山本は当時その副支部長に選任され、その後昭和二十七年三月地区本部大会において地区本部執行委員に選任され、支部組合の支部長を兼任した。一方支部組合の組合員は急激に増加し、昭和二十八年八月頃には約三百名に達するようになつた。昭和二十八年八月十二、十三日日米労務基本契約改訂をめぐつて、全駐労の指令に基く全国統一ストライキが決行され、支部組合もこれに参加したが、山本は支部組合における責任者として、右ストライキの指導に当つた。

その後山本は身体に不調を来したため、昭和二十八年八月二十日(被告命令書に八月二十一日とあるは二十日の誤記と認める)午後三時過ぎ頃日赤病院内の日本人診療所で医師の診察を受けたところ「気管支カタル」と診断され、翌日天満橋の駐留軍要員健康保険組合大阪支部中央診療所に出向いて精密検診を受けるように指示され、その際翌二十一日一日間休養を要するとの診断書を受領してこれを係の兵隊に手渡し、当日はその後平常通り勤務した後帰宅した。翌二十一日山本は右の指示に従つて、中央診療所へ出向いたところ、医師から再び「気管支カタル」と診断され、軽業又は休養を要するものとされたので、八月二十二日から五日間休養を要するとの診断書の交付を受け、翌二十二日日赤病院で右診断書を提出した後、同期間の間休養し、健康を回復して八月二十七日から平常通り就労した。

九月一日に至り、山本が作業に従事中午後四時半頃突然電話で日赤病院人事部に呼び出され、同所において、ブルツク軍曹から口頭で解雇の意思表示を受けた。

右の事実も当事者間に争いない。

(二)  被告が山本の解雇は同人の組合活動を理由とするもので不当労働行為であると認定したのに対し、原告は事実誤認で同人は有給病気休暇を誤用したが故に解雇せられたもので、同人の組合活動とは因果関係がないと主張するので、まず軍側が取り上げた解雇理由につきその事実の存否、及びこれが一般的に解雇されても止むを得ないと首肯するに足るものであるか否かを検討する。

1  山本に対する解雇の意思表示に際し、

(1)  昭和二十八年八月二十一日朝病気欠勤中にも拘らず日赤病院ボイラー室に姿を現わした。

(2)  同日夜病気欠勤中にも拘わらず妙堯寺における組合の集会に出席していた。

(3)  同月二十二日病気欠勤中に天王寺公園で行われた組合のデモに参加していた。

の三つの事実が山本の病気休暇誤用の事実として示されたことは当事者間に争いない。

2  (1) について

証人山崎賢一郎の証言といずれも成立に争いない乙第二号証の十四(山崎の供述速記録、甲第二十四号証)、乙第一号証の三十七(スナイダリツチ証言書、甲第十号証、乙第三号証の十)、同三十八(山崎証言書、甲第十一号証、乙第三号証の十)を綜合すると、山本は昭和二十八年八月二十一日午前七時五十分頃日赤病院ボイラー室内のエレベーターボーイの更衣室に赴き、エレベーターボーイ小西辰朗、同田中益二郎及び掃除人布部某らに対し「交渉はうまくいつているから安心して働く様に」「小坂労相と労働会館で面談した」などと話し掛け、同室において約三ないし五分間立話をして立去つた事実を認めることができる。

もつとも、証人山本一郎の証言、いずれも成立に争いない乙第二号証の十九(山本の供述速記録)、乙第四号証の七(山本の供述速記録)、乙第一号証の二(山本陳述書)はいずれも右事実を否定しているし、証人福岡田鶴の証言及びいずれも成立に争いのない乙第二号証の六(福岡の供述速記録)、乙第三号証の四十(福岡証言書)によれば、右福岡が同日午前八時頃大阪市住吉区緑木町の山本宅に赴いたところ、山本の在宅するのを見掛けたというのであり、証人磯村八重子の証言及びいずれも成立に争いない乙第二号証の十一(磯村の供述速記録)、乙第三号証の四十一(磯村の証言書)によれば、右磯村もまた同日午前八時頃前記山本宅において山本が在宅するのを見掛けた旨を述べているし、また証人堀切好三郎の証言、いずれも成立に争いない乙第一号証の十九(署名簿、乙第三号証の四十二)、同二十(西川証言書、乙第三号証の三十九)、乙第二号証の三(堀切の供述速記録)、同四(藤井太四郎の供述速記録)、同九(中野晴行の供述速記録)、同十八(大西政夫の供述速記録)、及び乙第四号証の四(堀切の供述速記録)によれば、当日朝前記更衣室などを含み日赤病院内において山本を見掛けなかつた旨を述べる者が多数に及ぶのみならず、証人田中益二郎の証言、いずれも成立に争いない乙第二号証の二十一(小西辰朗の供述速記録)、同二十二(田中の供述速記録)によれば、前記山崎の陳述において山本と会つたとされている当人らもその事実を否認し、更に、証人山崎賢一郎の証言により成立を認める乙第三号証の四十三によれば、被告委員会における審問当時には山崎自身すらも山本を見掛けたのは確実であるが、それが八月二十一日朝の出来事であつたか否か確信がない旨をその友人安田慶之助宛に書き送つているのであるから、一見前記各証拠の信憑性を疑わしめないでもない。

しかしながら、山崎賢一郎の証言によれば同人は通勤時市電に乗り合わせたりして山本の顔をよく知つており、他の者と充分識別し得たことが認められ、前顕乙第一号証の三十八及び乙第二号証の十四によれば、山崎は山本を前記更衣室で見掛けた当日の正午頃スナイダリツチ一等兵に尋ねられ、何気なく今朝山本を見掛けた旨答えたというのであり、また、証人有末広子の証言及び成立に争いない乙第四号証の三(有末の供述速記録、甲第二十三号証)によれば、山崎は同じく山本を見掛けた当日午後四時頃再び有末から確められたに際しても当日朝見掛けた情況を具体的に説明し、誤りない旨を応答した事実が認められ、この返答を得て後直ちに出発して有末は山本宅を訪問したのであるが、この訪問が八月二十一日夕刻の出来事であることは山本一郎の証言、前顕乙第二号証の十九においても充分認め得るところである。

右の一連の事実によれば、山崎が他の日本人労務者を山本と誤認したとも認められないし、また、スナイダリツチ及び有末に山本を見掛けた旨応答するに際しては、当日の出来事として未だ記憶が鮮明で、他の日の出来事と混同して述べるべき情況にはなかつたものと認められ、更に、スナイダリツチらに対し殊更虚構の事実を告げるべき情況の存在も認められない。

そしてまた、成立に争いない乙第三号証の十八(エレベーター係出退表)によれば、エレベーターボーイは約十八名が三直交替で勤務するため必ずしも全員が午前八時に出勤するものではないのであるが、八月二十一日はたまたま前記田中、小西の両名が午前八時出勤の直に当つており、布部は掃除人として毎日午前八時出勤であるところから、右三名が午前八時直前に前記更衣室で出会うことが可能な日に当つていることが認められ、この事実も前記山崎の証言などを裏付けるに足るものと認められる。

右の如くであるから、山本が前記更衣室に姿を現わしたことを否定する趣旨の前記各証拠はこれを措置するに足りない。

3  (2) について

この点に関する被告の認定事実は原告において明らかに争つていないところであるが、この事実と証人山本一郎、同大崎庄市の各証言、前顕乙第二号証の九、十九、乙第四号証の四、七、いずれも成立に争いない乙第二号証の七(大崎の供述速記録)、同十五(高木重信の供述速記録)、乙第一号証の三十九(相沢由蔵証言書、甲第十四号証、乙第三号証の十二)、同四十(高木重信証言書、乙第三号証の十二)を綜合すれば、支部組合の支部長である山本はかねて八月二十一日夜支部委員会を妙堯寺に招集してあつたため、病気中にも拘らず、招集者としての責任を遂行するため同夜同所に赴いたこと、山本は自分が病気のためできれば副委員長大崎庄市に代つて会議を主宰して貰いたいと思い電話を掛けたが、大崎は地区本部の執行委員として地区本部執行委員会に出席するため、支部組合の会議には出席できないとのことであり、またもう一名の副委員長である藤田重広は副委員長に就任後日浅く支部長の職務を代行せしめることは困難であつたこと、当時日米労務基本契約改訂をめぐつて争議中であり、第一次ストライキは終つたが、八月二十八日第二次ストライキを予定しているという緊迫した情勢下にあつたので、止むを得ず、山本は参集者らに自分が病気中である旨を告げ、通常なれば支部長として委員会を主宰するに拘らず、この日は支部委員会として予定された会合を正式の委員会としないで、車座になつて座談的に話し合うこととし、山本から、本部指令中央情勢なとについて報告し、若干の質疑応答があつて散会したことを認めることができる。

4  (3) について

証人山本一郎、同堀切好三郎、同大崎庄市、同鈴木正治の各証言、前顕乙第二号証の七、十九、乙第四号証の七、いずれも成立に争いない乙第二号証の十六(藤田重広の供述速記録)、乙第四号証の五(大崎の供述速記録)、乙第一号証の四十一(鈴木証言書、甲第十五号証、乙第三号証の十三)を綜合すれば、山本は当日午前中投薬を受け、また職場の監督者フラレーに欠勤届を提出するために日赤病院に赴いたが、当日は午後から天王寺公園で全駐労を主体とする組合の集会開催が予定されていたので、日赤病院からの帰途、自分は病気でこの集会に参加できない旨を支部組合役員、大阪地区本部役員などに伝えるべく午後一時頃天王寺公園に立ち寄つたこと、同所で堀切、古賀、中尾、藤田ら組合役員に出会い参加できないから宜敷く頼む旨を申し述べ、また、大阪渉外労務管理事務所の吏員鈴木とも出会つたこと、しかし、山本はこれらの者と五ないし十分間程度立話をしたのみで、午後一時半頃から開催された集会および午後二時半過ぎから開始されたデモ行進にはいずれも参加せずに帰宅したことが認められる。

5  証人門口静子、同高崎安太郎の各証言、いずれも成立に争いない乙第二号証の十二(門口の供述速記録)、乙第四号証の二(門口の供述速記録、甲第二十二号証)甲第二、第三号証、乙第一号証の三十五、四十四ないし四十七(乙第三号証の十六の一部)、五十一ないし五十四(乙第三号証の十四の一部うち五十四は甲第二十六号証におなじ)、乙第三号証の十五(うち解雇通知書は甲第二号証におなじ)証人高崎安太郎の証言により成立を認める甲第四ないし第九号証を綜合すれば、駐留軍労務者は病気のため欠勤しなければならない場合はその旨届出ることによつてこれを有給休暇として与えられる定めとなつていること。昭和二十七年頃から病気欠勤として有給休暇の取扱を受けながら、この休暇を療養以外の目的に利用するところのいわゆる有給休暇の誤用をなす労務者が増加する傾向にあつたので、昭和二十八年六月頃から軍労務連絡士官と大阪府との間でこれが対策につき協議折衝がなされる一方、軍は有休給暇の誤用をなした者に対しては解雇を以つて臨む方針を立てていたこと、及び右の方針に従つて病気休暇中の所為を理由に解雇され、あるいは勧告されて自己退職をなした事例としては、いずれも病気休暇中に、自宅でクツシヨン製造人として働いていた者、四国方面に帰省していた者、姫路市に旅行していた者、他の商会に勤務していた者、他の労務に従事していた者、北海道方面に旅行していた者、タクシーの運転手として働いていた者、劇場の宣伝自動車の運転手として働いていた者などがあることが認められる。

ところで、右各事例はいずれも労務者が休養の必要ないのに拘らず病気と称して勤務を怠り、他の労務に従事し、あるいは旅行にでるなど、病気有給休暇の制度を悪用し、病気静養の目的に反する所為に及んだもので、使用者に対し甚しく信義に反するものといえるから、右事例に照せば、軍の方針はかゝる者を病気休暇の誤用として解雇するにあつたものと推認でき、このような解雇は一応その妥当性を首肯することができる。

ところで、山本の前記認定の各所為をみるに、当時山本が病気として有給休暇を与えられていたことは争いないところであるが、いずれも、右各事例とは趣を異にする。即ち、山本の所為は、八月二十一日朝の更衣室における小時間の立話、同夜かねて予定されていた支部組合の会合への支部長たる責任上止むを得ない程度の出席、及び翌日欠勤届提出の帰途組合の集会に参加できない旨を組合役員に伝えるべく天王寺公園に立ち寄つてなした小時間の立話などであり、これをなすに至つた前後の事情に鑑み、組合の指導者たる立場上、団結のための行動であつて、自己のために休暇制度を悪用する意図はなかつたものと認めるのが相当である。

そして右の所為によつて静養を怠り病気回復を遅らせる可能性なしといい切れないとしても、事態は軽微であつて、殊更に非難すべき行動として法律上の価値判断を加えるに足りないのであるから、これをもつて有給休暇を誤用し背信的行為に出たものということはできない。してみればその勤務先が規律について厳格な態度を持する軍隊である点及び有給休暇についての規律の維持に腐心していた前記軍側の方針を考慮に入れても、有給休暇の誤用を理由とする本件解雇の妥当性を首肯するに足りない。

(三)  而して右認定の(2) (3) の行動は組合活動であること勿論であるが、それが病気のための休暇中になされたものであるけれども、これを理由とする解雇の妥当性の認められない以上、労組法第七条第一号の適用上正当な組合活動というに妨げない。そればかりではない。

山本の支部組合における地位及び本件解雇直前のストライキにおいて支部組合の最高責任者として争議を指導したことについては前記認定のとおりであり、証人山本一郎、同堀切好三郎、同大崎庄市の各証言、前顕乙第二号証の三、七、第四号証の四、七を綜合すれば、山本は支部長としてボイラー室の一人一人を説得して遂にその労務者全員を組合に加入させ、また警備員もその大部分を組合に勧誘加入せしめるなどして組織の拡大強化に努力し、前記ストライキ直前に支部組合員約三百五、六十名を数えるに至つたのは主として山本の力によるものであることが認められる。

而して同じく山本の証言、前顕乙第二号証の十五、十六日によれば、日赤病院警備隊長タツカー少佐はストライキに際してピケ隊を指揮していた山本及び副支部長藤田重広の行動を写真に撮影していたことが認められ、証人大崎庄市、同門口静子の各証言を綜合すれば日赤病院内における軍側と組合との交渉に際しては山本が組合側の責任者としてこれに当り、団体交渉では山本の名前が明かにされていたことが認められるから、軍側は山本が支部組合の中心人物であることを充分知悉していたと推認できる。

更に、本件解雇が昭和二十八年八月のストライキ終了後間もない時期に行われたことは先に認定のとおりであり、証人山本一郎、同大崎庄市、同堀切好三郎の各証言、前顕乙第二号証の七、十五によれば右ストライキに際しては軍側はフオアマン(日本人作業監督者)を通じて各労務者に呼び掛け、食事及び宿舎を軍側で配慮するからとして泊り込みによるストライキ破りを勧誘し、その結果約六十ないし百名の労務者が日赤病院内に泊り込んでストライキ中も作業に従事したことが認められ、証人山本一郎、同堀切好三郎の各証言、前顕乙第一号証の二、第二号証の十六、十八、十九、第四号証の七、成立に争いない乙第四号証の六(大西政夫の供述速記録)によれば、前記ストライキ終了の翌日たる八月十四日山本が通常どおり出勤したところ、軍側監督者からそれまで従事していた真空ポンプ作業にかえて、山本唯一人ペンキ塗り作業を命ぜられ、また、十六日には地下室内で暑さのため著しい苦痛を伴うところのパイプの保温巻作業を同じく唯一人でなすことを命ぜられ、いずれも通常は事務所内で勤務しているところの監督者フラレーが特に山本だけを監視して同行しつつ作業せしめたことが認められ(原告は右職場変更は山本がしばしば職場を離脱したことによると主張するが、職場離脱の具体的事実を認めるに足る証拠はない。)、また、前顕乙第一号証の二十、第二号証の三、十六、十九、第四号証の四、七によれば、軍側は九月一日山本に対し解雇を言渡した後兵隊三名を以つて山本を取り囲み、恰も犯罪者を護送するが如き方法で山本を基地外に送り出したこと、及びそれまで被解雇者に対しかかる措置が採られたことは一度もなかつたことが認められる。

これらの事実及びさきに認定のタツカー少佐による山本らの写真撮影の事実によればストライキ中からその後を通じ軍側の組合及びその責任者たる山本に対する感情は極めて悪化して来ていたものと推認できる。

山本の解雇理由として軍側の主張するところが一般的に解雇されても止むを得ないものと首肯するに足りないことは先に認定のとおりであり、これに右の諸事実を併せ考えると、軍側が山本を解雇するの挙にでた決定的理由は同人が支部組合の中心人物としてなした組合活動にあるものと推認するのが相当であるので、山本に対する解雇は不当労働行為であるといわねばならない。

三、原告主張の違法理由第二点について

原告は仮に本件解雇が不当労働行為であるとしても、それは、駐留軍が使用者として不当労働行為という違法行為をなしたに過ぎないから、「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に伴う民事特別法」第一条により国に損害賠償責任があるは格別として右の違法行為による労働法上の不当労働行為責任が国にあるいわれはないと主張する。

しかしながら、成立の争いのない乙第一号証の三十三(日米労務基本契約)の条項によれば駐留軍労務者は駐留軍を事実上の使用主としてその労務に服してはいるが、法律上の雇用主は日本国であつて、ただその雇入及び解雇についてはすべて駐留軍の決するところに委ねることを日本国と軍との間で契約しているに過ぎないことが認められる。

従つて、労務者の解雇に当り、駐留軍側が不当労働行為の意図をもつて解雇した以上、国は雇用契約の当事者、即ち使用者として自らなした場合と同様に取扱われ、その責任を免れることはできないものと解するのが相当である。この点に関する原告の主張は失当である。

更に、原告は駐留軍のなした不当労働行為につき国がその責任を負うべきものと解しても、駐留軍の施設管理権のため被解雇者の復職は殆ど不能に近く、救済命令を受けた国(又はその機関)もその実効性を保障することはできないのであつて、かかる現状からすれば、右の見解は実情に適せず失当であると主張するのであるが、国として復職せしむるに困難があるとはいえ法律上不能とは認め難いのであるからこの一事をもつて右見解を失当と認むべきいわれはないし、また裁判所は駐留軍においても行政協定第十六条、第十二条第五項に基いて日本国の裁判所によつて維持された労働委員会の救済命令を尊重し、復職に困難なからしめることを期待するものである。

四、以上判断したように、山本に対する本件解雇は労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為と認定すべきであつて、同様の認定をなし前記の如き命令を発した被告の処分は相当であり、右命令を違法であるとして取消を求める本訴請求は失当である。よつて、本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 西塚静子 三好達)

命令書

大阪市東区大手前之町一

再審査申立人 大阪府知事 赤間文三

大阪市北区高垣町七〇

再審査被申立人 全駐留軍労働組合大阪地区本部

右代表者執行委員長 高橋勝年

右当事者の中労委昭和二十九年不再第四号不当労働行為再審査申立事件について、当委員会は昭和二十九年九月十五日第二百七回公益委員会議において会長公益委員中山伊知郎、公益委員細川潤一郎、同藤林敬三、同佐々木良一、同中島徹三、同吾妻光俊出席し、合議の上次の通り命令する。

主文

本件再審査申立を棄却する。

理由

当委員会の認定した事実、及びこれに対する判断はつぎの通りである。

一、山本一郎は、再審査申立人大阪府知事により雇入れられた所謂駐留軍間接雇用労務者であつて、昭和二十六年二月以来、大阪市天王寺区にある、在日米軍(キヤンプ堺RPE、以下軍という)大阪日赤綜合病院(以下日赤病院という)に配管工として勤務していた。なお、日赤病院には日本人従業員約四百名が勤務していた。

昭和二十六年十月、大阪地区の駐留軍関係労務者によつて全大阪進駐軍要員労働組合(翌昭和二十七年十一月以降全駐留軍労働組合大阪地区本部となつた。以下本部という。)が結成された。この際日赤病院には組合員約四十名をもつて日赤支部(以下支部という。)が設けられ、山本はその副支部長に選任された。更に山本は、昭和二十七年三月の本部大会において、本部執行委員に選任され、支部の支部長を兼任することとなり、終始支部組織の強化のために努力した。その後支部組合員も急激に増加し、本件発生の直前たる昭和二十八年八月半ばのストライキの頃には約三百名に達するに至つた。

このストライキの頃迄山本は支部組合員の問題について、しばしば直接軍側と折衝したが、軍との関係は大体円満であつたと認められる。

ところが昭和二十八年八月十二、十三日、日米労務基本契約改訂をめぐつて、本部の上部組織である全駐留軍労働組合(以下全駐労という。)の指令に基く全国統一ストライキが決行され、支部もこれに参加した。山本はこのストライキにおいて支部における責任者としてその指導に当つた。

このストライキの前後から軍の組合に対する態度は急に硬化した。ストライキ中日赤病院の各所に張られたピケラインに対して軍側は保安将校タツカー少佐の指揮のもとに、或いはピケ隊の写真をしきりに撮影し、或いは病院自動車にスト不参加の従業員を乗せてピケラインの突破を図り、この為ピケ隊に負者傷を出し、また若干の組合員が天王寺警察署に連行されるなどかなりの摩擦があつた。

ストライキの翌日、山本が平常通り職場へ出たところ、軍側監督者からこれまで従事していた真空ポンプの係をかえて、ペンキ塗りの作業を命ぜられ、更に一、二日たつてまた別な作業に従事させられた。

更に同年八月二十八日に予定された第二波ストライキの直前には、軍が職制を通じてこのストライキに参加せず、職場に泊り込みで就業を希望する者を従事員について個別的に調査した事実もあつた。

二、この間にあつて山本は身体に不調を来したため、昭和二十八年八月二十一日午後三時過ぎ頃、日赤病院内の日本人診療所で医師の診察を受けたところ「気管支カタル」と診断され、翌日天満橋の駐留軍要員健康保険組合大阪支部中央診療所へ出向いて精密検診を受けるようにと指示され、その際翌二十一日一日間休養を要するとの診断書を受領してこれを係の兵隊に手渡し、なお当日はその後平常通り勤務した後帰宅した。

翌二十二日山本は右の指示に従つて中央診療所へ出向いたところ、医師から再び「気管支カタル」と診断され、軽業又は休養を要するものとされたので、今度は八月二十二日から五日間休養を要するとの診断書の交付を受け、翌二十二日日赤病院で右診断書を提出した後同期間の間休務し、健康を回復して八月二十七日から平常通り就業した。

その後九月一日になつて山本は午後四時半頃作業に従事中、突然電話で日赤病院人事部へ呼び出され、そこでブルツク軍曹から口頭で解雇の言渡しを受けた。その際に示された解雇理由はつぎの通りであつた。

(1)  昭和二十八年八月二十一日の朝、病気欠勤中にも拘わらず日赤病院ボイラー室に姿を現わした。

(2)  八月二十一日夜、病気欠勤中にも拘わらず、妙堯寺で組合の集会に出席していた。

(3)  八月二十二日、病気欠勤中に天王寺公園で組合のデモに参加していた。

三 (イ) 山本一郎の解雇の理由として挙げられた事実について考えると

(1) については山本が八月二十一日朝、日赤病院ボイラー室に姿を見せたとの点についての山崎証言及び米国軍人スナイダーリツチの証言書は、これを否定する田中、小西証言、並びに山本が同日朝自宅にいた旨の磯村、福岡証言或いは山崎証人のその後の態度等に徴するとにわかに措信しがたいものであつてこの点に関する初審認定を覆すことは困難である。

(2) については同日夜、山本が妙堯寺における支部の会合に出席し、主部指令、中央情勢等について報告し、若干の質疑に応答した後に散会した事実はあつた。

しかし乍ら支部は当時不可避の情勢にあつた第二波ストライキを目前に控えていわば非常事態の中にあり、本部からの指令もあつて早急に何らかの情勢を確立する必要に迫られていたことを考えると、山本が前記会合に(その招集は本件病気休暇前になされている)招集者としての立場上、病気休暇中であつたとはいえ多少の無理を押してでも出席しなければならないと考えたことは了解されるところであり、而も山本は右会合の冒頭において病気中の旨を参集者にことわり、支部委員会として予定された会合を正式の委員会とせず、座談的に報告及び質疑応答をなしたにとどまることが認められる。

(3) については八月二十二日山本は日赤病院診療所で投薬を受け且つ事務所で病気診断書を提出した帰途、帰路に当る天王寺公園で開催された、全駐労を主体とする組合の集合に立寄つたことが認められる。しかし当日山本はデモにも参加せず、本部役員や支部組合員に顔を見せた程度で帰宅したのであつた。

一方山本は、診察或いは投薬を受けるためにはかなりの遠距離を通院するよう医師から指示されていたことも考慮に入れるならば、山本の前記(2) (3) の程度の行動は必ずしも病気休暇制度の趣旨に反するものとはいい難く、いわんや解雇をもつて問責するに価するような行為であるとは考えられない。

(ロ) 一方再審査申立人は、軍としては従来病気休暇のことについては特に大きな関心をもつていたところであり、軍としてはいやしくもかかる事案を発見した場合は組合員非組合員の区別なく、またその時期の如何を問わず、当該労務者に対しては同一方針のもとに措置しているところであると主張するのでこの点について考える。

本件発生当時軍が病気休暇の問題について関心をもつていたことは、昭和二十八年七月頃から軍と大阪府との間で駐留軍労務者の病気休暇が多すぎることが問題となり、その対策として私傷病を取扱う病院を指定することが提案され、府及び組合との間に折衝が行われていたという経緯からもこれを認めることができる。然し乍ら本件の場合山本の病気休暇は正当な手続をふんでとられたものであることは明らかでありしかも山本は前記(2) (3) の程度の行動を措いては休暇期間を休養以外の目的に使用したことは認められないのであるから、前述のような経緯を考慮に入れてみても結局本件解雇の真の理由が「病気休暇の誤用自体」にあるという再審査申立人の主張を正当化することは困難である。

また、「病気休暇の誤用」による解雇として再審査申立人が挙げる二つの事例について見ても或いは休暇中他の場所で働くとか、或いは帰省するとか、その内容においてまさに典型的な病気休暇の誤用悪用であり、到底本件解雇の場合と同視することは出来ないものといわなければならない。

以上を要するに、山本の本件解雇の理由として挙げられているものは、一部はその事実を認め難く、他の部分についても到底解雇に価するような悪質な「病気休暇の誤用」であるとは考えることが出来ない。しかも軍がかかる事実をとり上げて敢て山本の解雇を行つた理由は、前記の如く本件解雇が昭和二十八年八月のストライキに密接した時期に行われたこと、山本が日赤病院におけるこのストライキの指揮者であつたこと、ストライキの前後における軍の組合に対する態度、更に解雇理由として示された三点がことごとく組合活動に関するものであること等から判断すると、その「病気休暇の誤用」が「軍にとつて不利益」であつたからではなく、それに名を藉りて日赤病院における組合組織の中心人物であつた山本を排除しようとしたものと推認せざるを得ない。

結局本件解雇は、「公正な人事権の行使」ではなく、山本の組合活動によるものと認められ、活動組合法第七条第一号に該当する不当労働行為と認定すべきものである。

四、以上の如く、山本に対する本件解雇が不当労働行為であることは明らかであるが、再審査申立人は本件について当事者たる適格を有しない旨争うので、この点について判断する。

駐留軍間接雇用労務者については、日米労務基本契約第十条により、日本政府側が雇用主としての一切の責を負うべきこととなつており、而して右労務者の雇入及び解雇等の事務は、調達庁設置法第十条及び昭和二十七年政令第三百号(現在においては昭和二十九年政令第百二十四号)により、調達庁長官から各都道府県知事に委任されているのであるから、本件の場合も再審査申立人大阪府知事は、当熱当事者適格を有する。但し、右労務者の雇入解雇等の事務の委任は、大阪府に対してではなく、大阪府知事になされたものであつて、初審命令における大阪府との表示は大阪府知事と訂正すべきであるが、初審以来大阪府知事が当事者として一切の審査手続に参加しているのであるから、これを以て、初審命令を取消す理由とはなし得ない。

五、以上のとおり、本件再審査申立は結局理由がなく、初審命令は相当と認められるから、労働組合法第二十五条、同第二十七条及び中央労働委員会規則第五十五条により、主文のとおり命令する。

昭和二十九年九月十五日

中央労働委員会 会長 中山伊知郎

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